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賓陽中洞
 
    賓陽中洞は竜門石窟の西山の北端に位置し、賓陽南洞と賓陽北洞とともに「賓陽三洞」と称される。
    『魏書・釈老誌』の記載では、「景明初期、世宗が大長秋卿白整に詔を下し、京霊岩寺石窟(今の雲岡石窟)を模型にし、洛南の伊阙山で、高祖、文昭皇太後に石窟二箇所を造営させ……永平中、中伊劉騰が世宗に上奏し、もう一箇所を造営した。合わせて三箇所になる。景明元年から正光四年六月までに、八十万二千三百六十六の労力を使用した。」ということである。現存の遺跡に対する調査と関係文献の研究によれば、この三つの洞窟は即ち今の賓陽三洞である。賓陽洞の開削は景明初年から正光四年(500-523年)まで、合わせて24年かかった。その後、宮廷の内乱により、南洞と南洞が完工されず、中洞だけ完成された。
    窟内の仏像は三世仏(過去世、現在世、未来世)を題材するものである。正面には一仏二弟子二菩薩があり、主佛の釈迦牟尼は仏壇に端座し、長衣の幅が広く、そでの大きな袈裟を被り、衣文が規則正しく精密に折り重なり、四層にもなる。体つきが穏やかで落ち着いていて、双肩が下に垂れ、清痩な顔つきで微笑み、人々に温かくて親しむべき感じを与える。舟形の身光内に火炎模様と菩薩が彫刻される。弟子迦葉、阿難と文殊、普賢菩薩が釈迦仏の両側に立って仕える。菩薩は広い肩掛けをかけ、腹部で交差し、北魏時代の流行な新デザインを着ている。南、北壁にそれぞれ一立仏二菩薩を彫刻する。南壁の左右両側の菩薩の頭が何れも盗掘され、目下はぞれぞれ日本大阪市立美術館と東京国立博物館に保存されている。洞窟前壁の南北の両側には、上から下まで四段になった美しいレリーフがある。第一段は文殊菩薩と維摩詰居士の対座説法図であり、第二段は薩埵那太子本生と須達拏太子本生に関する二つの仏教物語である。第三段は大型のレリーフ-帝後礼仏図(其々の高さが約2.00mで、広さが約2.50m)である:左(即ち北)は孝文帝及び侍従礼仏図で、右(即ち南)は文昭皇後及び女官礼仏図である。皇帝礼仏図の中で、鎧兜を身に付け、名剣を手に持つ二人の将軍が先頭に立ち、皇帝は玉飾りが冠の前後に垂らし、法服を着、「焼香」の姿を呈し、侍従は傘蓋などを持ち、皇帝の衣服の裾を持つ。其の他の王公貴族が後ろの列に並び、のろのろと行進し、雰囲気が荘厳である。皇後礼仏図の中で、皇後は鳳冠を被り、手に蓮華を持ち、眉を低くし、足を止めて敬虔に仏を供える。果物、花瓶を持っている女官たちは両側に侍従し、妃、皇女は順番に後ろの列に並び、緩やかに進行する。こんなに人の多くの行列の中で、主従を区別に、尊卑に順序を付け、疎密が規律正しく、左右が呼応するので、独創性に溢れているといえる。レリーフ全体は北魏孝文帝及び文昭皇後が礼仏時の盛大場面を再現し、気勢が広大で、構図が複雑で、人物関係が錯綜であるが、人々に多様性と完全性、複雑性と統一性を有機的に結合する感じを与える。北魏皇室の貴族の礼仏場面は古代芸術家の巧みな処理と優れた技巧で、静で厳かで規律正しい当時の礼仏活動及び礼仏者の敬虔、厳粛と静かな心境を再現し、一定の程度から宗教活動における当時の貴族たちの精神状態と熱狂な風習を表現した。残念なことに、1930—1935に文物の悪徳商人とアメリカ人フアランが結託し、この2つの貴重なレリーフを盗んでアメリカに売った。今はアメリカニューヨークの市立美術館とカンサスのネルソン美術館に所蔵されている。
    第四段は即ち窟内の前壁基部であり、我が国の最も古い十神王像が保存されている。左側は風神王、竜神王、河神王、樹神王、獅神王;右側は鳥神王、象神王、火神王、珠神王、山神王である。
    地面の中央に参道が彫刻され、左右に其々三つの蓮華図案があり、周辺には忍冬模様と聯珠模様が充填される。
    洞窟天井の真ん中は重なる蓮華であり、周辺には八人の伎楽天と二人の供養天が彫られる。楽器は磬、排庖、琴、シンバル台、笙、笛、阮咸と細腰鼓などあり、天井板の外縁に宝珠文、鱗の垂れ模様、三角の垂れ帳模様及び房状の装飾など各種の優れた図案があり、共同で大型の図案を構成し、彫刻が華麗で、色彩が鮮やかである。
    洞窟のドアの尖っている所に火炎模様が彫られ、龕梁が振り向く竜頭の彫刻である。門外の両側にはそれぞれ一つの形龕があり、中に力士像が彫られる。北側の力士は頭に宝冠を被り、両目を見張り、眉骨を尖らせ、上半身に肩掛け、腹部の前で交差し、下半身にスカートを着、左手に金剛杵を持ち、右手の五指を胸の前に広げ、両足を開き、身体をやや前に傾き、丈夫で力強く見える。窟門甬道の南側に三頭六臂の大梵天のレリーフがあり、上半身に吹流し、下半身にスカートを着、足に魔王を踏み、手に一本、三本の金剛杵を持っている;北側に一頭四臂の帝釈天護法神像のレリーフがあり、頭には髑髏火炎冠を被り、手に一本、三本の金剛杵を持っている。
    賓陽中洞は仏像が整っていて、組み立てが順序正しく、模様に多様な変化があり、構図が精美で、装飾が華麗で、内容が豊富で、中国六世紀初期における北魏仏像の皇室風格の最も典型的な代表と言え、孝文帝が洛陽に遷都した後の最も代表性のある漢化洞窟の一つであり、中国仏教美術史上で重要な位置を占めている。
 
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